2012年7月12日木曜日

グスコーブドリの伝記

本日休弁日
「グスコーブドリの伝記」を観に行った。

宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」は中学生のときに図書館で出会って,そのラストに衝撃を受けた作品,そして賢治を読むようになったきっかけの作品でもある。

有名な賢治の作品というと「銀河鉄道の夜」があげられる。1985年,これをますむらひろしの擬人化された猫を登場人物に据えて映画化したのが杉井ギサブロー。今夏,このコンビによる「グスコーブドリの伝記」が公開されるのを楽しみにしていた。

封切られて数日たち,好奇心を抑えきれずにネット上での評判を見てみると,あまりよろしくない。ずいぶん原作とかけ離れた,杉井版ブドリの伝記に仕上がっているようだ。

そこで,木曜日はメンズデーといって映画の鑑賞料金が1000円の日。万が一ハズレでも1000円ならそれほど惜しいとは思わないだろうからと,今日鑑賞してきた。

結果,

1000円返せ!1000円が惜しい!

2時間という時間は,美しい画面やスチームパンク丸出しのCGで描かれた乗り物たちのためにくれてやろう。しかし,杉井ギサブローの脚本には?を隠せない。

なぜ,ブドリとネリの再会を描かなかった?ブドリがカルボナード火山島に一人残る決心をしたのは,それまでに世話になったいろいろな人々そして唯一の肉親であるネリとその家族の幸せを願ってのことじゃなかったのか。

それが杉井版では,ブドリに自殺願望があったような描かれ方になっている。ネリは拐われたのではなくて,実は餓死してしまっていた。その原因は満足に食べさせてやれなかった自分ある。自分を責めていたブドリ(ネリの持っていた猫のぬいぐるみを肌身離さずもっているのがその証拠か)の格好の死に場所がカルボナード火山島だったと。

杉井はラストの爆発のシーンを2011年の悲しい出来事に配慮して直接的に表現せず象徴的なものにしたと語っているのをどこかで読んだ。

しかし,原作は,

すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅(あかがねいろ)になったのを見ました。

ととても淡々とした語り口で語っている。これで,十分よかったのではないか。

作品をここに収斂しなかった監督の意図には納得出来ない。どんな作品にも変えてはいけない部分というものがあると思う。

prius
(25.4km/L)

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